宮尾耳鼻咽喉科

宮尾源二郎
2006年9月 撮影

はじめまして。宮尾耳鼻咽喉科医院の医院長をしております宮尾源二郎です。

私は昭和33年2月11日生まれです。生まれてから大学入学まで、千葉県習志野市谷津に住んでいました。子供の頃は、国道14号線のところまで海になっていました。夏休みには、朝ごはんの味噌汁の具を採りに、ちょつと潮干狩りに出かけたものでした。大きなあさりが、たらい一杯、採れたものでした。京成谷津駅前には、谷津遊園という遊園地がありました。有名な遊園地でしたので、私と同年代の人たちは訪れた人も多いとおもいます。

宮尾耳鼻咽喉科は昭和29年に津田沼で開院致しました。開院以来50年以上になります。 私は父の後、二代目の医院長であります。

習志野市立津田沼小学校卒業、学習院中等科・高等科卒業、 昭和59年、昭和大学医学部を卒業致しました。 以後、昭和大学藤が丘病院耳鼻咽喉科助手、 平成2年、日本耳鼻咽喉科学会認定専門医、 平成4年、医学博士(主論文:甲状腺腫瘍の生化学的検討)、 平成4年、昭和大学藤が丘病院耳鼻咽喉科講師(平成15年まで) と研鑽致しました。

近年、医療のIT化が進み、医師は診療にパソコンを使用し、パソコンの画面を見ながら患者に説明する事が多くなって来た様に思われます。患者と真正面から向き合わなくなってしまいました。説明に対して十分な同意がなされているかどうかを確認しないで診療が終了してしまう危険があります。これは医師や医療に対する不満や不信の原因となり得ると思います。 耳鼻咽喉科診療の場面では、混み入った所見の記録や検査データの羅列提示は比較的少ないので、患者と向き合う時間は長いと思われますが、当院では診療中にパソコンは使用せず、特に患者と向き合うことを大事にして診療しています。納得できる説明を心がけていますが、解らないことがあればとことん聞いて下さい。診療時間は限られていますので、来院者が多数の場合は時間を区切らせて頂く事もありますが、可能な限り対応しています。

最後に医療に対する認識として、是非とも皆さんに理解して頂きたい事が一つあります。私たちの体は複雑で、未知の部分も多数あります。個人差もあり多様であります。同じ病気に対して同じ治療を行っても、ある人は治るけど、ある人は治らない、治らないどころか悪化することすらあります。その場合は他の方法に変更する事になります。こんな時に不満や不信が芽生えるのだと思います。医師の仕事は基本的に善意の努力ですが、人間のやることにはおのずと限度もあります。なかなか治らない時こそ医師も患者も互いに真剣に、人として向き合いたいものだと思います。

医院長 宮尾源二郎


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